現代社会には幽霊や妖怪よりも、よほど人を震え上がらせる存在がいる。その名も「正論お化け」。姿かたちは見えないが、会議室、SNS、家庭、街頭インタビューのコメント欄など、いたるところに出没する。彼らの決まり文句は「それは規則違反です」「常識的に考えれば明らかです」「データによれば〜」といった筋の通った正論ばかり。
正論お化けが厄介なのは、言葉が間違っていない点だ。むしろ正しい。だから反論する側が悪者になってしまう。残業で疲れ切った社員に「働き方改革が必要だ」と説教すれば、確かに正しい。しかし今欲しいのは制度論ではなく、温かい労いの言葉と栄養ドリンクである。正論が人を救うどころか、追い詰めてしまう瞬間だ。
家庭でも油断はできない。「子どもはスマホより読書を」「野菜を食べないと健康に悪い」――すべて正しい。だが、夕食を前にこれを口にすれば、子どもは箸を置き、妻は眉をひそめ、食卓は凍りつく。家庭という最小の共同体すら、正論お化けに侵食されるのだ。
なぜ正論お化けはこれほど増殖しているのか。一因はSNSの普及にある。誰もが発信者となり、「正しい意見」を即座に投げつけられる環境が整った。たとえば誰かが「今日は疲れた」とつぶやくだけで、「自己管理不足だ」と突っ込みが入る。ニュースを共有すれば「その情報源は偏っている」と叩かれる。ここでは正論が「いいね」を稼ぐ武器となり、ますますお化けが繁殖していく。
職場でも同様だ。効率化やコンプライアンスが叫ばれる中、「正しいやり方」を強調する発言が評価されやすい。会議で「その提案はリスク管理が甘い」と指摘すれば、鋭い洞察として拍手を浴びる。だが同時に、挑戦的なアイデアは芽を摘まれ、場の空気は冷え込む。組織全体が「正論の温室」ならぬ「正論の冷蔵庫」になり、失敗を恐れて誰も新しい一歩を踏み出せなくなる。
風刺的に言えば、正論お化けの本質は「責任回避」にある。正しいことを言っておけば、自分は安全圏に立てる。たとえば事故が起きれば「安全管理が甘かった」と言えばいい。経済が悪化すれば「政府の政策が間違っている」と言えばいい。確かに正しい。しかしそれで誰が救われるのか。正論は便利な免罪符となり、思考停止を正当化する呪文に変わってしまう。
正論を振りかざす人は往々にして「自分は正しい」と信じ切っているため、相手の状況や感情への想像力を失いがちだ。その結果、正論は人を支える知恵ではなく、人を傷つける武器に変貌する。まさにお化けのように、見た目は人間でも、言葉は冷気を帯びて相手を凍らせる。
ではどうすればこの正論お化けを退治できるのか。万能薬はないが、一つの方法は「ユーモア」である。たとえば会議で資料を忘れた同僚に「ビジネスパーソンとして失格だ」と正論を突きつける代わりに、「今日は紙芝居形式で発表してみようか」と冗談を言えばいい。場が和み、むしろ新しいアイデアが生まれることもある。
もう一つは「共感」だ。正論を述べる前に「大変だったね」と相手の感情を受け止める。家庭でも「野菜を食べないとダメ」ではなく、「ハンバーグ美味しいけど、ちょっとブロッコリーも食べてね」と添える。正論に温度を加えるだけで、言葉は脅しから励ましに変わる。
正論は社会を支える大切な基盤である。しかし、それを振りかざすとき、人は容易に正論お化けになってしまう。SNSでの断罪、職場でのマウント、家庭での小言。どれも正しいのに、なぜか人を疲れさせ、関係を冷え込ませる。
だからこそ私たちは、自分の言葉を問い直さねばならない。「いま自分は人を生かす正論を語っているのか、それとも正論お化けに取り憑かれているのか」。その一瞬の自省が、社会を冷たいお化け屋敷にするか、温かい居場所にするかを分けるのだ。
理事長 肥田泰幸