地球規模の疫病蔓延はまだまだ終息の気配すら無く、特に欧米では厳しい状況が続いています。国内においては経済活動の再開やスポーツ、イベント活動も徐々に規制が緩和されつつありますが、医療従事者である私たちにとっては気の抜けない日々が続いている事と思います。最前線で頑張る仲間たちには本当に敬意を表すところです。TOKYO2020が開催延期となり、多くの学生スポーツも大会中止を悲劇として報じられ、プロスポーツも期間短縮や無観客などその影響は大きなものでした。我々一般市民のスポーツも活動が制限され、かつて経験のないストレスや疲弊感を感じた人も少なくないと思います。今回は感染や政治と少し離れて「スポーツ」について少し考えてみることにしました。
「スポーツ」と聞いてみなさん何を思い浮かべますか?辞書で調べてみると「陸上競技や水泳、野球などの身体運動の総称」などとあります。最近ではe‐スポーツといった身体運動とは少し直結しにくいものもスポーツとされています。そもそもスポーツって何?なんてことを意識する必要もないほど一般的で普及した言葉とも言えます。ところがスポーツの定義については学者の数だけあるとも言われるほどで、国や時代によっても解釈は様々なようです。特に日本におけるスポーツの捉え方は欧米諸国とは異なり、独自の文化を醸成してきました。
「スポーツ」の語源はラテン語のdeportareデポルターレ「運び去る、運搬する」に由来します。やがて「義務からの気分転換、元気の回復」と意味を変え、フランス語の「気分を転じる、楽しませる、遊ぶ」という意味の「depoter」となり、16世紀、英語における同義の「sporte」「sport」となりました。つまり語源から考えるに「スポーツ」は楽しむ事であり、気晴らし、ストレスからの解放という事を意味していました。
日本に伝わったとされるのは大正後期から明治初期で、残念ながら「遊ぶ」「楽しむ」という要素が省かれ、当時の三育「知育」「徳育」そして「体育」として捉えられるようになりました。つまり日本ではスポーツは精神修行、武士道の様なストイックな形で人材育成として軍隊や学校で広がっていきました。なんとなく厳しくて辛いイメージですね。日本の残念なスポーツの歴史です。「生涯スポーツ」の概念がなかなか浸透しない要因の一つかもしれません。
先日の菅首相の所信表明演説の中で「東京オリパラを人類が新型コロナウィルスに打ち勝った証として開催を決意する」と述べられました。1964年の東京オリンピックが「戦後復興の象徴」であったように、再び「スポーツ」を象徴としたわけですね。1995年のリスボン宣言で「スポーツ」は「経済発展に必要である」とも謳われています。オリンピック・パラリンピックは祭典であり大きな経済効果もありますが、生涯スポーツは国民の健康寿命の延長がもたらす経済への好影響があるようです。 つまり「スポーツ」は楽しみであり、気分転換であり、体育であり、興行であり、象徴等々でもあるわけですね。
コロナ禍の中、多くの人がストレスを抱えていると思います。こんな時だからこそ「スポーツ」を見直してみてはいかがでしょう。もちろん制限もあると思いますが、やるスポーツ、観るスポーツ、支えるスポーツ、なんでもいいと思います。語源に思いを馳せつつ、自分に合ったスポーツを楽しんでみてはいかがでしょう!
九州沖縄ブロック 理事補佐 小峠 博揮