Column No28 『コロナに負けるな! 疫病退散を祈祷とされる、「博多祇園山笠」の興奮と感動』

私は博多祇園山笠を愛する一人であり、現在は山笠7流の一つである千代流の顧問をしています。そこで今回、簡単に博多祇園山笠の話をしたいと思います。

 

博多祇園山笠の起源については諸説ありますが、鎌倉時代の1241年に博多で疫病が流行した際、承天寺(博多駅の近くにあり、うどん、蕎麦、饅頭の発祥の地と言われている)の開祖であり当時の住職である聖一国師が町民に担がれた木製の施餓鬼棚に乗り水を撒きながら町を清めてまわり疫病退散を祈祷したことを発祥とするのが通説です。安土桃山時代には、島津氏と豊臣氏の戦いにより博多の街は焼け野原となりましたが、豊臣秀吉が帰国の際、博多の街をいくつかの区画毎に「流」(ながれ)としてグループ化し復興を行いました。現在の「流」は恵比須流・大黒流・土居流・東流・西流・中洲流・千代流の7流であり、博多の総鎮守として知られる櫛田神社の奉納神事として毎年7月1日から15日にかけて開催されています。今年で780年目を迎える伝統ある祭で、国の重要無形民俗文化財に指定され、山笠の掛け声「おっしょい」は1996年に日本の音風景100選に選ばれました。また、2016年には、ユネスコ無形文化遺産に登録されています。

山笠の行事は7月1日と9日の「お汐井取り」(箱崎浜に5Km走って安全祈願の海砂を取りに行く)7月1日~8日「こども山笠」10日~11日「町内流舁と朝山」(各流の地区内を舁き廻る)12日「追い山馴」(15日の追い山笠より1Km短いコースを走る肩慣らし)13日「集団山見せ」(地元の名士や有名芸能人を台上がりさせた各流の舁き山が、各所を走る)15日「追い山笠」と続いていきますが、山笠の全てを語ると永くなり過ぎるので、ここでは祭りのクライマックスを飾る神事「追い山笠」のみの話にしておきます。

「追い山笠」櫛田の境内に1番山で櫛田入りする我が千代流・・・最高に興奮する一瞬です。中央の赤い旗が清道旗です。「追い山笠」は、旧暦時代は6月15日の夜明け、つまり満月が西に沈み、東の空が白み始めるころに行われていましたが、新暦の現在では7月15日午前4時59分に設定されており、山笠はスタートしたら清道旗を回って境内を出て、コース約5キロに飛び出していきます。この舁き出しから境内を出るまでを“櫛田入り”と呼び、距離は約112メートル。所要時間の計測があり、各流とも精鋭で臨みます。コースが“長距離走”(舁き手は走りながら次々に交代)なら、櫛田入りは“短距離走”で、舁き手は一気に駆け抜けていきます。最初のダッシュ、清道旗の回り方、その後もスピードが保てるかなどがポイントです。現在の櫛田入りタイムは、各流が三十秒前半で舁いており、正確を期すため、百分の一まで計測しています。境内の周りには桟敷席(有料、1800席)が設けられていて、所要時間の発表に「速ければ」沸き、「遅ければ」ため息が漏れ、観客も興奮して観覧しています。

夜明けの行事であり、神々しい雰囲気も漂う中で執り行われます。舁き山笠(肩に山笠の棒を乗せて走ることを「舁(か)く」と言います)は午前1時半ごろから櫛田神社前の土居通りに7流の山が順番に並べられ、舁き手は各流の町内毎に続々と集合し、櫛田神社でお参りをした後はひたすら開始を待ち続けます。境内のアナウンスでスタートまでの時間を放送する中、“山男の熱気”が徐々に最高潮(カテコラミン出まくり)に達していき、特にアナウンスで「櫛田入り10秒前」とコールされ、追い山笠がスタートする直前、「山止め」で出発を待っている瞬間。ざわついていた空気が張り詰め、5秒ほどシーンと静まり返る時間があるのです。これからエネルギーを溜め込んで爆発しようとする張り詰めた一瞬の空気。そこはテレビ中継などでもある程度伝わると思いますが、独特の熱をはらんだ空気感は現場で見たら鳥肌が立ち毛穴が開くのが分かるくらいに興奮します。満員の桟敷席、沿道に詰め掛けた見物客が待つ中、午前4時59分、大太鼓の合図とともに一番山笠がドッと“櫛田入り”。清道旗を回ったところでいったん山笠を止め、見物客を巻き込んで「博多祝い唄」の大合唱。

 

祝いめでたの 若松さまよ 若松さまよ 枝も栄ゆりゃ 葉もしゅげる

エーイショーエ エーイショーエ ショーエ ショーエ ハア ションガネ

アレワイサソ エサソエー ションガネー

 

誰もがゾクゾクとする一瞬で、「魂が震える」と表現する人もいます。

歌い終わると、「博多手一本」を打って山笠は境内を出て旧博多部に設けられた“追い山笠コース”(約5キロ)を懸命に舁いて行きます。午前4時59分という出発時間は一番山笠だけに認められた「博多祝い唄」を歌う時間として1分間前倒ししているためです。従って、二番山笠は6分後、三番山笠以降は5分間隔の舁き出しで、そのまま須崎町の廻り止めを目指します。山笠を5km舁いていき、舁き手が走りながら山足を止めずに交代していく光景も見事です。基本的に舁き山笠は止めませんので、到着までの時間を縮めるためには、いかにスムーズに舁き手が交代できるかにもかかっています。最後の廻り止めにたどり着いた、達成感に満ちた山男たちの顔は、祭りをずっと見ていた方に「涙が出た」と言われるほど感動的です。

“櫛田入り”“コース”ともに所要時間を計測し、各流はその結果に一喜一憂するのですが、優勝旗や賞状などがあるわけではなく、これもこのお祭りのすがすがしい一面であるといえます。

追い山笠で「廻り止」に着いた我が千代流が一本締めを入れている光景です。

昨年の2020年は、コロナ禍のため中止になりましたが、今年は参加者全員にPCR検査を義務付けて開催するそうです。医療人として今年の参加は見送るつもりです。早くコロナ禍がおさまり山笠が全力でできる日を夢見て頑張っていきます。

九州・沖縄ブロック理事 有田誠一郎

 

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