私たちは1日に数万回もの「思考」をしていると言われています。しかし、そのうち実際に言葉にされるのは、ほんのわずか。ほとんどの思考は、誰にも伝えられず、記録にも残らず、自分自身の中で湧いては消えていきます。つまり、思考の多くは「見えない」のです。誰かと会話をしているとき、その人が話している内容だけでなく、「なぜ今その言葉を選んだのか」「その背後にどんな考えがあるのか」「本当は何を伝えたかったのか」といった、“言葉にならなかった思考”を私たちは無意識に読み取ろうとしています。空気を読む、行間を読む、こうした力は、まさに「見えない思考」を感じ取る感性と言えるでしょう。
見えない=存在しない、ではない
思考は、目には見えませんが確かに存在しています。
たとえば、脳科学の研究では、人がある言葉を聞いたとき、脳のどの部分が反応するか、意思決定の直前にどんな活動があるかといった「思考の兆し」が観察されるようになってきました。しかし、脳の反応を見ただけでは、「その人が何を考えているのか」「なぜそう考えたのか」までは、やはりわかりません。私たちの思考は、記憶、経験、価値観、感情、身体状態、さらにはその日の天気や食事にまで影響される繊細で複雑なプロセスです。それはまるで、風や香りのように、姿は見えずとも確かにそこにある「何か」なのです。
思考が「見えない」ことの意味
では、なぜ私たちの思考は見えないままなのでしょうか?
それは、思考とは自由なものだからかもしれません。
思考は、制約されず、誰にも管理されず、どこまでも飛躍し、組み替えられ、消され、再生されます。たとえ誰かに伝えようとしても、言葉にした瞬間、その思考の全体像はすでに削られ、変形されています。「言葉にできない」思いというのは、言葉にできないからこそ、深く広がっているのかもしれません。
見えない思考に、意味はあるのか?
私たちは、何か行動を起こすとき、すでに「思考を経た結果」として動いています。つまり、見えない思考が、目に見える行動をつくっている。
それは、人間関係にも現れます。誰かに優しくできるとき、それは一瞬の思いやりではなく、何層にも重なった過去の経験や感情、考えの積み重ねかもしれません。
また、言葉にしなかった思いが、相手にとって最も深く届くこともあります。
見えない思考は、表に出ないだけで、私たちの人格や関係性、そして未来そのものを形づくっているのです。
思考が「見えない」からこそ、私たちは問い続ける
私たちは、問いを持つ生き物です。問いがあるからこそ、考え始め、迷い、仮説を立て、世界を少しずつ理解していくのです。「見えない思考」とは、答えを出すための過程ではなく、「問いを持ち続ける姿勢」と言えるのかもしれません。
“なぜあの人の言葉に心が動いたのか?”
“なぜ自分はあの時、動けなかったのか?”
“未来にとって、今の選択は正しいのか?”
こうした問いは、すぐに答えが出るものではありません。けれど、その問い自体が、私たちの思考を深め、行動を導いていく力になります。
見えない思考は、あなたの中に確かに存在しています。
見えない思考は、あなたの中に確かに存在しています。
それは、誰にも見えないけれど、あなたを動かす原動力です。
他者に届かなくても、表現されなくても、思考には力があります。
ただし、ときに損得勘定が思考を支配し、行動を制限してしまうことがあります。そんなときこそ、目先の利益だけでなく、長期的な視点で行動や影響を捉えることが大切です。
日々の生活においては、確かに思想や思いよりもお金が優先されがちです。生活を守るのはお金です。しかし、生活を豊かにし、人生に意味を与えるのは思想や思いにほかなりません。
今日の一歩を決めるのはお金かもしれません。けれど、明日を形づくるのは、あなたの中にある見えない思考なのです。
どうか、見えない思考を軽んじず、胸の奥の声に耳を傾けてください。
それが、あなたの未来を確かに形づくっていきます。
九州ブロック理事補佐 山田佳央

