Column No.72 『打ち上げ花火』

夏を彩る風物詩のひとつに、打ち上げ花火があります。蒸し暑い夜空に大輪の光が咲き、腹の底まで響く音が静寂を破る瞬間、人々の視線は一斉に空へと向けられます。日本の打ち上げ花火といえば、長岡まつりの花火を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。全国的にも知名度が高く、テレビやSNSでもその美しさが話題になります。

ある夏の日、透析室で顔なじみの患者さんから「今日は長岡花火に行くから、透析を早く始めてもらえないかなぁ。ごめんね。」とお願いされました。笑顔の奥に、年に一度の特別な夜を楽しみにする高揚感が滲んでいました。長岡まつりの花火大会は、信濃川の上空一面を光が覆い尽くし、胸を打つ音が観客の体に響き渡ります。その迫力と美しさに、毎年約34万人もの人々が魅了されます。その歴史は戦後間もない1946年にまで遡ります。

背景には、1945年8月1日に起きた長岡空襲があります。この空襲で多くの市民が命を落としました。翌年から始まった花火大会は、亡くなった方々への慰霊と、焼け野原から立ち上がろうとする復興、そして平和への祈りが込められています。今年は戦後80年という節目の年です。もしかすると、花火の美しさだけを楽しみ、その背景を知らずにいる方も少なくないかもしれません。しかし、その歴史を知ると、同じ火薬であっても、使い方次第で悲しみを喜びへと変えることができる——そんな力があることに気づかされます。

臨床工学技士の歴史にも、似たような転換の瞬間がありました。ご存じの通り、臨床工学技士の資格が制定されたのは1987年。それ以前は、無資格のまま透析医療に携わっていた先輩方が多くいました。周囲の医療職は国家資格に守られている一方、無資格という立場は、日々の業務の中で将来への不安と隣り合わせだったはずです。それでも、信頼と責任、そして患者さんへの深い想いを胸に、その時代を懸命に乗り越えてこられたのです。

そうした歴史を振り返ると、いま私たちが国家資格を持ち、安心してこの仕事に従事できることが、どれほど恵まれているかを実感します。臨床工学技士は、現在では年間約34万人の透析患者さんの治療に関わっています。その一人ひとりの患者さんの背後には、ご家族や友人といった支え合う存在がいます。旅行での思い出や家族の団らん、時には口喧嘩も含めた日常、映画を見て涙する時間——そうした生活のすべてを支える一端を、私たちは担っているのです。

花火師が一瞬の輝きに心血を注ぐように、私たち臨床工学技士もまた、日々の業務の中で一人の命、一つの暮らしを守るために技術と心を尽くしています。私たちの仕事は、観客を一斉に「ワクワク」させる花火のような派手さはないかもしれません。しかし、目の前に助けを必要とする人が現れたとき、迷わず手を差し伸べ、命をつなぐことができる職種です。その瞬間は、確かに誰かの人生に光を灯す「打ち上げ花火」になっているのだと思います。

近年、花火師のなり手が減少し、技術の継承が危ぶまれています。もし10年後、20年後、そして30年後に、あの34万人を魅了する長岡花火が見られなくなってしまったら——それはとても寂しい未来です。この話は、私たち臨床工学技士にも他人事ではありません。医療機器の進化や治療方法の変化に対応できる人材を育てるには、経験と技術の継承が不可欠です。

資格制定前の先輩方がそうであったように、信頼と責任、そして患者さんへの想いを忘れず、現場を支える行動を一人ひとりが続けていくこと。それが、未来の臨床工学技士の花火を打ち上げるための火種になるのではないでしょうか。歴史を知ることは、単なる知識の習得ではなく、これからの行動を決める羅針盤です。

空を焦がす花火の一瞬の輝きは、決して偶然ではありません。そこには、技術と情熱、そして未来へとつなぐ強い意志があります。私たちもまた、日々の一瞬一瞬に全力を注ぎ、誰かの笑顔や安心につながる仕事をしていきたいと思います。

北海道・東北ブロック理事 高橋 良光

Column_No72