Column No46 『臨床工学技士への執着』

 

2004年、臨床工学技士の国家資格を取得してからずっと医療機関で働くものだと勝手に思っていました。それがどうだろう。透析クリニックで勤めながら、独自でプレゼンテーションセミナーを企画運営してみたり、法人を設立してみたり・・・挙げ句の果てに、透析クリニックを退職すると言って町工場の経営に参画しながら、自分の会社を経営し、友達の会社の経営まで手伝っている。直近では、経産省のイノベーター育成プログラム「始動」に応募してみた新規事業が採択され、ますますお祭り騒ぎです。

 

こんなことをしながらでも病院に非常勤で勤め、何かを繋ぎ止めようと(?)透析医療に携わっています。最初はコンスタントに週1回は勤めていた病院も忙しすぎて2週間に1回程度しか行けなくなってきました。そうなってきた最近、特に焦りや不安を強く感じることがあります。18年間、目の前のミッションをこなすだけにかまけて、自分に向き合う機会を避けてきたこともあり、新規事業に取り掛かるこの機会に改めて自分の心の奥底、硬い岩盤の下にあるモヤモヤしたもの曝け出すことにしました。そこにあったものが「臨床工学技士への執着」だったのです。どんどん医療現場から離れていく自分を心穏やかに客観視して見ることがきるようになった今だからこそ人とは違う道を進む厳しさや楽しさを冷静に伝えることができそうですので、また違う機会にそんなお話ができればと思います。

 

心の奥底、硬い岩盤の下にあるモヤモヤしたもの、それが「臨床工学技士への執着」だったわけですが、臨床工学技士という国家資格を活かせる場にいようと思えばいられたのに、そうしなくなってしまった2つの理由があります。

 

① 臨床現場で働けなくなる65歳くらいから何をするのか全く見えない

② 臨床現場で体調を崩したことへのストレス

 

この2つ問題点の解決策が、私の場合、「起業」だったのです。当然リスクはつきものですし、そもそも臨床現場で働き続けるのも私にとってはリスクだったので、失敗した時のことなんてあまり考えていませんでした。リスクヘッジという意味では、臨床工学技士という国家資格を持っているから「いざとなれば臨床現場に戻ればいいや」という安易な考え方があったのです。病院の非常勤にいる理由の一つにそれはあります。告示研修をすぐ受講したのもそういった背景があります。

 

「失敗してもなんとかなる」

 

強い自信の裏側には、臨床工学技士という資格にしがみついている自分の姿が今回見えました。実は、これが最近強く感じる「焦りと不安」の原因だったのです。

 

事業が上手くいかなくなるかもしれないということに対するものではなく、「臨床現場に戻らなくてはいけない」が強いようです。自分の心の奥底を覗きにいくまでは全く考えもしなかったことでした。要するに主たる仕事を臨床現場から移した2つの理由をまた背負うことになると考えてしまうようです。体調悪くして死にそうになり相当辛かった経験が結びつくのでしょう。蓋を開けると頭の中は、臨床工学技士として臨床現場に戻る一択の狭い視野で埋め尽くされていました。

ただ自分の無意識の思考を知ることができた今、臨床工学技士として臨床で働くことだけが選択肢でないことを改めて考えるきっかけとなりました。メーカーもあります。製造もあります。学校もあります。なんだってできます。他にももっと臨床工学技士の価値を創っていける。この先、人口は減り、病院も減っていくことが確定している日本では、臨床工学技士の領域拡大をしていかないといけないという問題を改めて考えさせられることになりました。

 

私は、どんな場面でも臨床工学技士という資格は冠して仕事をしていきたいし、この資格が自分にとって誇りあるもので、自慢できるものであり続けたい。焦りと不安から解き放たれた今、また前向いて進んでいくことを決意しました。

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