Column No38 『医師が持つ手の力』

1970年代よりアメリカをはじめ近代諸国でエイズが大流行した。その結果医療現場では患者とのハグ、身体接触が極端に減少した。これに伴いアメリカでの医療訴訟は飛躍的に伸びてしまっているといわれる。近代医療は病気そのもののアプローチは進化?し、機械化しそれなりの効果を呈している。しかしながら患者の満足度は局単に喪失している。

バルギース教授は医師の視点で、これは医師と患者の契約の信頼の低下だと指摘する。契約?どこで契約を行うのか、どんな契約だ?法的な契約なのか?と矢次端に質問がある。

バルギース教授は真剣な面持ちで、それは医師が責任を持つ患者の、人間として付き合うこころとこころの契約だという。また、その希薄さが医療の荒廃を招くと説明する。バルギース教授は荒廃する医療現場の改善のため、病棟で回診時、患者の触診と聴診を積極的に行った。なんと疾患別に20数種類の手技を行い、若い医師にこれを励行させているという。

その結果、ハーバード大学での医療訴訟は極端に減少した。また患者は医師を信頼し息が途絶えるその瞬間まで、バルギース医師が訪室すると、力のない震える手で病衣のボタンを開くように努力するという。「心配しないで君が死ぬまで僕は君の傍いてあげるよ」教授は常に心の中でこう思っているという。

触診、聴診を怠る医師は多く、患者は見ないで患者情報が表示されるPCばかりを見ている。バルギース教授はこれをIP(information patient)画像上の患者として揶揄する。画像上病気は完治しているように見える、しかし現実は本来患者が求める、心の救済になんら医師の力が届いていなと指摘する。

この指摘は我々医療人がもつ、狡さの象徴だ。何も医師ばかりでは無い、看護師もレントゲン技師も、PT、OTも我々CEも同じだ。医療人として患者の心に届く、なにがしらの聴診と触診を行うべきであると痛感する。

「わたし失敗しないので」のフレーズで有名なTVドラマ、主演の女医が、手術後患者の体に手をおいて去るシーンが、毎回映し出される。契約の達成を意味する暗示である。何かしらの心の契約をあらわすこと、大切です、みんなで始めてみませんか?こんな行為が大きく開いて社会に伝わって、我々の社会貢献が認められて、政治的な背景が整うことも理解しておかないといけないことでは?と感じます。

副理事長 門田明正

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